
ANARCHY

A̶N̶A̶R̶C̶H̶Y̶
歌詞
解説
※本作品は実像や思想内容を正確に描写するものではなく、歴史上の人物を題材としたフィクションである。
本作品はAcademimicが企画・ディレクションした創作表現であるため、菅原氏の研究内容・主張を正確に表すことを意図したものではありません。
本作品は北一輝研究者 菅原 薫仁氏にヒアリング(2024年8月実施)した以下の内容からインスピレーションを受けて制作されました。
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学習院大学 人文科学研究科
菅原 薫仁
※本発表内容の剽窃やアイディア等の一部利用、またはそれに準ずる行為を本制作以外では一切許諾しません。
過去を実際に生きていた人への野蛮な言論的侵略――象徴的言葉としての「色んな解釈があって良いよね(だから私の解釈は正しい)」――を、醒めた目を伴った実証を以て淡々と否定していく他ないと菅原は考えている。
以下は『東アジア日本研究者協議会 第 8 回国際学術大会報告(2024年11月10日)で報告する情報を基にしている。原稿自体は公表出来ないが、報告する内容の核部分は以下の通りである。
菅原が2015年から進めていた北の信仰に関する研究の一部を「キリスト教とナショナリズム」研究会報告(2021年7月24日)で示したが、その報告のように内村鑑三のかつての「正義」の思想を通った北一輝の思想は、その理論化と具体化として相互扶助アナキズム=クロポトキン主義に基づいた思想へと変貌する。北思想の核はクロポトキン主義に位置付けられる「避戦論」の相互扶助アナキズムにあり、それで一貫しており、喩えるなら〈黒薔薇〉である。
(※クロポトキン主義に北思想が位置付けられる史料的妥当性は文末に補足的な脚注として示しているのでそちらを随時参照してください。また「アナキスト的近代性(Anarchist Modernity)」については報告要旨に記載してあります)
クロポトキン主義(相互扶助アナキズム)に基礎を置く北思想はいわゆる社会ダーウィニズムへの強い批判的性格を有しており、侵略を批判し、自国も他国も独立を重視するものである。この思想から形成されている北の対外論――「避戦論」的な「日・中・米の提携構想」を具体的に見てみれば、後の「高度国防国家」の構想などと全く異なっていることは明確である。満洲事変後も北は一貫して中国とアメリカとの戦争を避けるよう提言している。この北の「正義」は、「たたかひは創造の父、文化の母である」とし、満洲事変について「我が正義の主張を十分全世界に徹底せしむるを得ず」と書いた陸軍パンフレット(『国防の本義とその強化の提唱』)の「正義」と全く異なる。
こうしたアナキズム思想に基づいて「不仁」な当時の日本の政治状況や対外論を強い言葉で罵る。また、北思想はよく言われるような日蓮主義や国家社会主義ではなくクロポトキン主義の強い影響下にある。
これらのことは『大眼目』という史料によって分かるようになったところが大きい(著者が角田清彦になっているが、『大眼目』の「一、社會主義と國家主義」以降は99.9%北一輝の口述筆記であると菅原は論文で示した。その論文の論理に加えて、北のものだと考えることが妥当な史料的根拠を本報告では追加して示してもいる)。
北思想はアナキズムではあるが、一般的にイメージされるアナキズムとはかなり異なっていて、権威主義や権力を否定的に捉えながらも政治・統治をしっかり考えるし、テロリズムみたいな暴力的思想とも異なる。
北は明治維新で暴力革命的テロリズムの段階は済んだと認識している(法制度上の秩序が形成されたために“抵抗”する場合は非テロリズムとしての「合法的なクーデター」による)。美濃部達吉の「不貫徹」と言う形で天皇機関説を批判的に受容して形成された北の国体論(「天皇+議会」を最高機関と考える )は、天皇の権力による独裁と民衆の暴力による独裁の双方に歯止めをかけるもの:「独裁」に対してのアナキズムである。
『国家改造案原理大綱』においても天皇大権の発動と憲法停止というところだけが一人歩きしがちだが、元首の個人意思のみでそれを行うことを良しとしないのが北一輝のミソである。
「挙国一人ノ非議ナキ国論ヲ定メ、全日本国民ノ大同団結ヲ以テ終ニ天皇大権ノ発動ヲ奏請シ、天皇ヲ奉ジテ速カニ国家改造ノ根基ヲ完ウセザルベカラズ」とする(※『国家改造案原理大綱』『北一輝著作集 第2巻』みすず書房、1959年所収。219〜220頁より)ということは、つまりきちんと「民意」に沿っている判断であるということが手続き的に事前に認められないならダメということに必然的になる。
北一輝の構想は、天皇が入ることで民衆独裁にも歯止めをかけている。
しかし二・二六事件では対照的に、激怒した“昭和天皇の個人意思の発動”によって「粛軍」が起きた。他でもなく天皇大権と憲法停止によるものである。「無私の天皇」などちゃんちゃらおかしいのである。以降、北一輝の「日中米の提携構想」とは全く異なる“日中戦争を意識した軍事費の増大”という愚の骨頂なる事態が起こっていくことを考えると大きなターニングポイントであったと言えよう。そもそも「蹶起趣意書」の「八紘一宇」≒「所謂国体論」の思想は北一輝の生涯の敵であり、「蹶起趣意書」と北思想だって全く異なるのに、統制派とか軍部的な思想と北が同様なんて解釈はなおさらあり得ないのである)。
元首独裁も民衆独裁もどっちもクソと言っている訳なんですね(北が敵視するような自国中心主義だけだと必ずどこかで限界を迎える。菅原は本報告でアジア主義の従来の類型を批判し、自国中心主義の汎アジア主義と、「避戦」を重視し、独立≒非支配を志向し、侵略を批判する“抵抗”としての“アナキズムアジア主義”を区別する分類を提出した)。
このように統制派とか革新官僚とか軍部とか呼ばれる人たちの構想と北一輝の構想との違いはかなり大事になる。これらの人々の北一輝解釈と北一輝自身の構想は全く違うものなのである。
また、日蓮主義・国家社会主義・テロリズム等のレッテル貼りで否定的意見を述べる人がよくいるが、そういう人は史料を読んでいないと言って問題ない。クロポトキン主義の話や『国家改造案原理大綱』のところで、日蓮主義以外については説明しているので、日蓮主義について端的に報告した内容を要約すれば、「支那革命外史序」(1921年)において北は「不肖は日蓮に非ず又日蓮の奴隷に非ず」 と強調しながら自身の思想を主張しているが、であれば、後世の研究者の恣意的な思想分類は可能とはいえ、少なくとも北にとって北思想は「非日蓮主義」と呼ぶべきものであったことは疑うべくもない歴史的事実であり、北が核部分として強調している「非日蓮的な何か」にこそ重要な部分があると考える方が妥当である(それが相互扶助アナキズム=クロポトキン主義であることはこれまでの説明の通りである。そもそも法華経=日蓮は少々傲慢な認識だろう。永福も国内政策や対外論という具体的な思想の形成に大した意味を持っていないのは明確である)。
北の信仰についても報告では詳細に書きましたが、ここではこうした形で省略させていただきます。
北は「宇宙目的論の哲学と生物進化論の科学とは茲に始めて合致し、相互に帰納となり演繹となりて科学的宗教となる――『類神人』の語は生物進化論の結論なり」と書く通り、科学を基礎に置く「科学的宗教」を考える(※北輝次郎『国体論及び純正社会主義』(1906年)、国立国会図書館デジタルコレクション (https://dl.ndl.go.jp/pid/1902349)最終閲覧日:2024年8月、396頁)。その点でオウム真理教や幸福の科学など、宗教を基礎に置く「宗教的科学」とは全く違うのである(また、北の使用する宗教は「哲学宗教」といった形があり 、宗教と哲学の距離が概念的にかなり近く見受けられる点も現代の単なる宗教的なそれと異なる認識と言えよう)。あくまで「相互扶助」の「純正社会主義」なのである。
しかしこれまでの研究も「盲目の琵琶法師が琵琶をかき鳴らしながら語った物語」のように価値があるものである。とはいえ、アナキズムへの「アレルギー」から歴史学的な鮮明度が上がらない問題があるのは明確であろう。
また、本報告ではムッソリーニのファシズムとの違いやそれに紐づいてデジタル・ファシズムとサイバー・アナキズムが全く異なるものであることを示してもいる(※デジタル・ファシズム=庶民を監視する国家資本主義、あるいは庶民を監視する国家社会主義。このデジタルファシズムの言葉の注だけはより分かりやすくなるだろうと考え、浅井様にお願いして2025年3月8日に改めて追記した。台湾での報告で使用した「デジタルファシズム」の語と意味内容とは変わっていない)。
以下は補足的な脚注である(菅原の研究はどの「北一輝像」を信じるか信じないかとか信じたいかといった次元にはない歴史学における思想史研究である。とはいえ最も信じられないであろうところがクロポトキン主義の箇所であると思われるのでそこだけ以下のように書いておく)。
北一輝は『国体論及び純正社会主義』(1906年)でクロポトキンの相互扶助について以下の通り記述する。
⽣物進化論が⼈類に与へたる福⾳は、如何なる道徳論も如何なる宗教も及ばざる者なることを気附かざるか。ダーウィンによりて悪魔の聲の如く響きたる⽣存競争説は、終にクロポトキンに⾄りて相互扶助の発⾒となれり(※同上、244頁)。
北は、引用の通り、「ダーウィンによりて悪魔の聲の如く響きたる⽣存競争説」が「クロポトキンに⾄りて相互扶助の発⾒」となり、この「⽣物進化論が⼈類に与へたる福⾳は、如何なる道徳論も如何なる宗教も及ばざる者」であると考えた。クロポトキンは、「闘争」を重視する社会ダーウィニズムの代表的な論者であるトマス・ハクスリーへの反論として『相互扶助論』:Mutual Aid: A Factor of Evolution (1902年) を執筆し、異種間で見られる闘争なき進化に視点を置き、進化の要因を生物の「相互扶助」(Mutual Aid)にあるとしたが、先に引用した北の記述からは、北が明確にクロポトキンの相互扶助の進化論を頂点的思想に位置付けていたことが分かる。また、北は次のようにも記述する。
生物進化論が此の福音を挙げて悪魔の知識を残らず根底より顛覆せしが為に単に政治学と経済学とのみならず、倫理学の上にも教育学の上にも⼼理学の上にも『社会主義』の⾦冠が加へられ、⼈類の思想史は全く新たなる光明界にむかつて流れ始めたるなり(※同上、250頁。「生物進化論の哲学史上の⾰命と社会に於ける社会主義の⾰命」の項に記述がある。北は同頁で「生物進化の事実は社会主義を待ちて始めて説明せられ得べきを見て歓喜に堪へざる者なり」とも書くが、「相互扶助」≒社会主義をもって生物進化の事実が説明されたと認識している)。
山本健三が「20世紀初頭の東アジアにおけるクロポトキン主義の拡散」で指摘した通り、クロポトキン主義は、自然界における相互扶助を進化の最重要要因とし、世界を有機的な結合として把握するという特徴を持った、自然科学的な知見に基づく世界観を土台とした革命思想の総体(アナーキズム=コミュニズム)である。上記に示した通り、北は相互扶助の進化論(クロポトキン主義)の「福音」が「悪魔の知識を残らず根底より顛覆」したと考え、それよって「単に政治学と経済学とのみならず、倫理学の上にも教育学の上にも⼼理学の上にも「『社会主義』の⾦冠」が加へられ、⼈類の思想史は全く新たなる光明界にむかつて流れ始めた」と記述している。加えて、北はこうも書く。
実に社会の権利と利益とを主張する純正社会主義は此の社会進化の理想を根本義とす(中略) 純正社会主義は進化論の上に⽴ちて厳粛なる科学的基礎によりて推理し明確に社会進化の理想を意識して努⼒す、断じて錦繍に包まれたる糞⼟の塊と混同すべからざるなり(※同上、156頁)。
北の「純正社会主義」は「相互扶助」の進化論と離れない形で展開されており、この進化論は社会主義の「科学的基礎」と表現され、「純正社会主義は此の社会進化の理想を根本義とす」と記述され、「錦繍に包まれたる糞⼟の塊」と混同するなと書いているのである。
北一輝のいつもの「逆手戦法」(寺田稲次郎によってこのように命名されている)は、先に示した「ダーウィンによりて悪魔の聲の如く響きたる⽣存競争説」にも向けられる。以下に記述を引用する。
相互扶助による優勝劣敗と云ふことは基督よりも釈尊よりも遥かに遥かに⾼貴なる福⾳なることを。生物進化論が此の福音を挙げて悪魔の知識を残らず根底より顛覆せしが為に単に政治学と経済学とのみならず、倫理学の上にも教育学の上にも⼼理学の上にも『社会主義』の⾦冠が加へられ、⼈類の思想史は全く新たなる光明界にむかつて流れ始めたるなり(※同上、250頁)。
「相互扶助による優勝劣敗と云ふことは基督よりも釈尊よりも遥かに遥かに⾼貴なる福⾳なることを」以下の文章は前述した引用と同じであるが、北は「相互扶助による優勝劣敗」によって先に示した「悪魔の知識」を「残らず根底より顛覆」するのである。また、『国体論及び純正社会主義』では「進化律の天則に不合理なることなし」と、「神類」へと至る進化論(≒相互扶助)が「天則」とも表現される(同上、377頁)。加藤弘之の「天則」が「弱肉強食」・「優勝劣敗」のいわゆる「社会ダーウィニズム」であることに鑑みると、北は加藤の言葉を逆手にとり、「相互扶助による優勝劣敗」と言う形で「天則」の位置に「相互扶助」を置くことで、加藤の「社会ダーウィニズム」的な「天則」を加藤の「天則」の理屈をもって退けていると考えられよう。
菅原は、北の言葉をそのまま引用し、念のため引用後にまとめる形で繰り返したが、先の記述を読んだ上で、当時の北思想がクロポトキン主義に位置づけられることを事実とする菅原解釈の妥当さを疑う者がいないことを心から信じたい。また、北は自然選択説を採っている。以下に記述を引用する。
即ち、相互扶助による高級の個体を単位として生存競争をなす菜食動物は、分立による下級の個体を単位とせる肉食動物に打ち勝ちて地球に蔓延せりと云ふことなり(※同上、248頁)。
進化論的思想と言った時、クロポトキン主義以外に位置付けられることがないよう祈っている(誤りであるため)。
※重ねてになりますが、本発表内容の剽窃やアイディア等の一部利用、またはそれに準ずる行為を本制作以外では一切許諾しません。
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ANARCHYは歴史上の思想家・北一輝をモチーフとした作品である。既存の枠組みを問い直す普遍的テーマを、一人の歴史的人物の内面を現代的視点から詩的に解釈している。歴史上の人物をモチーフとしながらも、その思想の賛否を超えて、理想に殉じた一人の人間の内的世界を現代の感性で創造的に再構成した実験的作品である。思想と生、理想と現実、個人と社会の関係性というテーマを探求し、ボーカロイド楽曲という形式を通じて、一人の人間の内面世界を詩的に表現した作品として捉えることができるだろう。(浅井順也)
※北一輝(きた いっき、1883-1937):
明治から昭和初期に活動した思想家。複雑で多面的な思想を持ち、当時の社会体制に対する独自の改革論を唱えた。
Inspired by
- 北一輝(きた いっき、1883-1937): 明治から昭和初期に活動した思想家。複雑で多面的な思想を持ち、当時の社会体制に対する独自の改革論を唱えた。
- 菅原 薫仁(2024)東アジアにおけるクロポトキン主義の影響と“抵抗”としての「アジア主義」 -北一輝における「相互扶助」概念と「アナキスト的近代性」-(東アジア日本研究者協議会 第 8 回国際学術大会報告 2024年11月10日)
- ※Academimicが企画・ディレクションした創作表現であるため、菅原氏の研究内容・主張を正確に表すことを意図したものではありません。 ※本作品は北一輝研究者 菅原 薫仁氏からヒアリングした内容からインスピレーションを受けて制作されました。
Credit
- 作詞/作曲/編曲/動画
- 唐紅
- 企画/解説
- 浅井順也